Home > Column > わたしの場合。医療保険未加入で29歳罹患。全摘出予定が一転、温存手術に。

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治療体験記 "わたしの場合"

このサイトだけで読める「若年性乳がんキャンサーの為の連載コラム」。 “Pink Ring Extend”のメンバーによる、書き下ろし“治療体験記”。一概に乳がんといえども、10人のキャンサーがいれば10通りある治療方法。その現場を綴ったリアル・コラムです。

30歳 2008年1月、手術前日
“わたし”=松 さや香 / 1977年生まれ・独身
出版社勤務時の29歳で罹患。ステージ2b。
左胸に合計6センチ大の腫瘍が二つ。

わたしの場合、 父をガンで亡くした1年後、29歳で罹患。医療保険未加入。 術前化学療法で腫瘍が消えて、全摘出予定が一転、温存手術に。

最初の異変を感じたのは、左胸に激痛が走ったこと。おかしいな?と、痛みを感じた左胸を触ってみると、しこりが指先に触れました。当時29歳。病気の懸念など全くしたことがなく、乳房をセルフチェックすること自体初めて。すぐにかかりつけ医に行き、マンモグラフィーとエコーと触診。しかし、結果は「不明瞭」。その後、針生検とMRIを加えましたが、またもハッキリとは分からず勧められるまま大学病院へ。そこでマンモトームまで行いようやく“がん細胞の発見”に至りました。この間に3ヶ月という時間がかかり、結果が出るまで時間がかかったことでズルズルと事態を納得してしまい、先生の『ガン細胞、見つかりましたよ!』という言葉に「やっと‥、長かった!!」と呼応するような、間抜けな“告知”となってしまいました。

検査の結果、左胸に腫瘍が二つ。先生からは「合計で6センチ、乳頭に近い為、左胸全摘出」という診断でした。術前化学療法初回投与直後、脱毛に備えてバリカンで髪を刈るなど出来る限り心の準備を含めて対処したつもりでしたが、半年間の化学療法はわたしにとって想像していた以上に過酷でした。ですが、人って良くも悪くも慣れるもので、治療が始まってしまえば腹も決まってきます。病気に対する過度な心配は出来るだけしないように前向きを心がけましたが、一番堪えたのは『治療費』。告知時の1年前ガンだった父が亡くなる際「医療保険に入っておけよ」と病床から言われたというのに、健康と若さを過信して丸腰だったことは今でも後悔しています。半年の抗がん剤投与が終わり手術日を決める最期の検査の際、マンモグラフィーにもエコーにももはや何も映らず腫瘍が消えていることが素人目にも確認出来ました。「温存手術」が可能である旨を主治医から伝えられたときは『こんなことってあるんですね!』と興奮。手術後は放射線治療と再発予防のハーセプチン投与を1年行い、現在ホルモン療法を継続中です。

「すでに頑張ってるんだから、“ガンバレ”って言わないで!」や「なんで病気を乗り越えた途端、“いい人”になるの?」と云う本音

そして、病気を患った当事者として世間を見渡すと、なんて病気にまつわる“美しい話”の多いのかしら。と、辟易としたことも。愛とか絆とか、それはとても大切なことだけれど、それだけでは越えていけないお金と痛みを伴う現実。病気への不平や不満を口にしたってイイじゃない。そういうことが言えない空気を作られると、余計体調悪くなるわ!と腹が立つやら、でも、不満を口にして繰り返してもガンは消えないんだ。ぐす。と振り子のようにゆれる日々をコツコツ歩くしかないわけです。わたしは「治療費のために働かなくちゃ!」と、毎日ウィッグをかぶり化粧をして会社に行き続けました。“編集者”という仕事柄、勤務時間が不規則になりがちでしたが、幸い理解のある上司と仲間に支えられ、手術の3日前まで仕事をすることが出来ました。「もう、無理!」とやつ当たりしたり、治療と仕事が両立出来なくて涙が出ることもありましたが「公私間の緊張と緩急」そして「孤独にならない」ことはむしろメンタル面を支えてくれ、結果自信につながりました。キャンサーでも働くことは当然出来ます。社会生活でもプライベートでも、病気という事態においては前述のことを含めコミュニケーションに勝るものってないのかもしれません。振り返ってみれば、やはり支えてくれたのは家族を含む周囲の人々でした。斜に構えていたわたしも、今では素直に感謝の想いが溢れます。

治療も4年目に入り今日まで悲しいことも悔しいこともありましたが、思いがけない“喜び”も数え切れないほどありました。また、治療中に仕事を続けられた自分に調子に乗って恥ずかしながら「わたしって、すごい!」と、万能感に浸ったことも。こんな風に自分の「人間臭い」部分と向き合わされる日々は、苦しくて惨めでなんだか笑えました。そんな時期を経て、わたしはガンになったことを『選ばれた』とも『試練』とも特には思えず、ただ「なった」だけなんだな。と、こんな風に思いがけないことが起こるんだな、人生って。と改めて感じるのです。だからこそ「意味」を見出したくて、2年目辺りから「ガンになったら最後、夢をあきらめなくちゃいけない」なんて、やっぱりおかしい!ガンになったことを“意義”にしたい。と奮起し、現在は生活拠点を海外に移し、仕事と勉強と診察の為に住まいと東京の間を行ったり来たりの生活をしています。だってイヤじゃないですか、「ガンだから●●を諦めた」とか。それこそ、まだ若いのだから。

(2011年8月31日)

ELLE ONLINE Blog:粉紅絲帶日報(ピンクリボンジャーナル) 〜仕事と恋とガンとの事情〜

【Attention】
ここに綴られている治療方針を含んだ”医療情報”は、治療当時の一個人の記録です。病気についての不安や疑問をもたれた方は、すぐに専門医で診察を受けることをお薦めします。このコラムは乳がんの[個人体験記]であり、「がん治療の指南書」ではありません。予めご理解とご了承頂けますようお願いします。

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