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治療体験記 "わたしの場合"

このサイトだけで読める「若年性乳がんキャンサーの為の連載コラム」。 “Pink Ring Extend”のメンバーによる、書き下ろし“治療体験記”。一概に乳がんといえども、10人のキャンサーがいれば10通りある治療方法。その現場を綴ったリアル・コラムです。

大の中日ドラゴンズファン。主人の手術のお見舞いのサプライズはDVD「中日ドラゴンズ優勝記念盤 感動の軌跡2010」病室で即座に観賞。ナチュラルキラー細胞増加で免疫UP!
“わたし”=南原 千沙子(仮名) / 1976年生まれ・既婚・子なし・専業主婦
2010年10月、34歳6ヶ月で罹患。ステージ1。トリプルネガティブ。
左胸に0.7×0.5×0.6の腫瘍。温存手術を受け、抗がん剤と放射線治療。

不妊治療中の乳がん告知、トリプルネガティブタイプのがんに戸惑い。それでも治療後、子どもを持つ為の“提案”も

2010年6月、初めての不妊治療で化学流産。2回目のチャレンジまで前向きにゴルフに勤しんでいた8月末、左胸に激痛が走る。熱中症になりかけつつ、激痛に堪えつつの根性ラウンド。ラウンド後のゴルフ場のお風呂でしこりに触る。しこりというよりは、弾力性のあるぷにぷにしている物体。乳腺症?直ぐに近所の乳腺外科がある総合病院に行って、触診、マンモ、エコー、細胞診。後日、「筋原性の肉腫の疑い」との診断に『は?なんの告知で?』 と、意識がぼーんと飛んだので、あまり記憶にないが、とにかく主人が一緒に居てくれてよかった。腑抜けたわたしの代わりに、冷静かつ猛烈なスピードで諸々を対処。こういうときにこそ人の本性が出るとしたら、自分はとても弱い人間なのかもしれません。ちなみに頼れる主人は5歳年下。今まで人にあまり甘えず生きてきたのは単なる強がりだったのかな?と、今までの分まで主人や両家族に甘えることに。紹介状を携え、聖路加国際病院の戸をくぐったのは10月4日でした。

聖路加国際病院で再検査し、最終的に乳がんを告知された10月14日、主治医の山内先生から「受精卵凍結」を提案されました。手術まであと1ヶ月、採卵のタイミングは月に1回。治療を遅らせることは考えておらず、そうするとチャンスはこの1回のみ。卵を育てる注射の為に採卵の日まで、ほぼ毎日通院しました。手術の日を悶々と待ちわびるよりも、日々大きく育っていく卵をエコーで観察することは、明るい未来へ力強く前進しているみたいで、この時期、わたしたち夫婦の大きな励みになりました。結果、採卵した8個の卵のうち、5個の卵が受精、無事凍結まで至りました。 2010年11月に手術、12月から術後化学療法(DOC・FEC各4回)、2011年6月からの放射線治療と全ての治療を完遂しました。トリプルネガティブというタイプのがんなのでホルモン治療はなく、現在は無治療期間に突入しています。そして希望の卵を戻す日を、心待ちにしています。

ガンになった自分しか感じることの出来ない苦しみと、周りにいる人間しか感じることの出来ない辛さ。両者それぞれ、当事者にしか分からない孤独と向き合い

『できるなら代わってあげたい』『ぼくも同じ病気になりたい』 主人のこの言葉に怒りを覚え、彼に向かって「わたしの前で泣かないで!泣くのはわたしの役目!」 と、かつて暴言を吐いたことがあります。その後、彼がほっとしてわたしの前で号泣したことがありました。『ごめんね。でも涙が止まらないんだ』 と嗚咽する彼を抱きしめながら、「キャンサーが抱える孤独があれば、キャンサーを見守ることしかできない孤独も同時に存在する」ということを初めて知りました。そして、その主人の孤独を知ったときに、キャンサーの心を推し量って、かける言葉の難しさも知りました。目の前にある痛い検査と、その検査結果の恐怖に耐えることで少しの余裕もなかったわたしが、初めて我に返り、客観的に自分の病気に対峙できた瞬間だったと思います。主人の言葉の真意に気付き、優しさを痛感したわたしに「この試練を乗り越えることで、誠心誠意、主人の気持ちに応えてみせよう」というファイティングスピリットが、初めて湧きました。「治療を全て完遂した」という自信が溢れる今は、主人から受けた人生最大の恩をどうやって返していこうかと。これもまたこれからの人生の楽しみのひとつです。

全ての治療が大詰めを向かえたとき、凍結してある受精卵を移植するタイミングについて、わたしたち夫婦はとても迷っていました。そのときに主治医の山内先生が、すてきなお話をしてくださいました。医療関係者向けのセミナーにて、米国メイヨークリニック精神科名誉教授の丸田先生が講演されたときのお話だそうです。『女性の人生は、列車の旅の連続。真っ直ぐ伸びる線路の上をひた走り、駅を作っては、ひたすらに駅とその終点を目指す。しかし、乳がんになったことで、列車は脱線してしまう。治療をしながら、脱線した列車を元の線路に軌道修正しようと頑張る。そこで列車から降りて、気球に乗ってみてはいかがだろう。大切な人と一緒に乗って、高いところまで上昇する。風に気球を委ねて、のんびりと舵を取る旅もよいものだ。』 今、わたしたち夫婦は気球に乗ってゆっくり上昇しているところです。眼下いっぱいに広がる世界を見渡しています。いい風を捉まえて、ついでに遠くの地平線の眺めまで堪能してこようと思います。

(2012年2月13日)

【Attention】
ここに綴られている治療方針を含んだ”医療情報”は、治療当時の一個人の記録です。病気についての不安や疑問をもたれた方は、すぐに専門医で診察を受けることをお薦めします。このコラムは乳がんの[個人体験記]であり、「がん治療の指南書」ではありません。予めご理解とご了承頂けますようお願いします。

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